生年月日データベース

山田直稔やまだなおとし

実業家[日本]

(1964年東京五輪以降、ほとんどのオリンピックに応援に赴き、「オリンピックおじさん」として知られる。)

1926年 4月16日

2019年 3月9日 死去心不全享年94歳
山田直稔 - ウィキペディアより引用

山田 直稔(やまだ なおとし、1926年4月16日 - 2019年3月9日)は、日本の実業家。
ワイヤーロープの販売を行う浪速商事株式会社の経営を行う傍ら、羽織、袴に金色の帽子、金色の扇子という格好でオリンピックや大相撲を観戦したことから「オリンピックおじさん」としても知られた。
経歴・人物= 富山県東礪波郡井波町(現南砺市)出身。
現在の富山県立富山工業高等学校(当時は富山市立工業学校)を経て、日本大学旧工学部(現日本大学理工学部)建築学科に進む。
山田は大学生だったときに阿部定事件の犯人だった阿部定と出逢い、『あんたね、男は人生一代だよ!』と激励されたことを生前に語っている。
大学卒業後にワイヤーロープ業界に入り、1960年に浪速商事株式会社を設立する。
ホテル事業や不動産(カプセルホテル営業含む)などへ幅を広げたあと浪商グループを築き、その後に亡くなるまで同社代表取締役会長を務めた。
1984年にゆうもあ大賞を受賞し、紺綬褒章を受章した。
2019年3月9日、心不全のために死去。
92歳没。
オリンピックおじさん= 山田はオリンピックにおいては、様々な種目の会場で金色のシルクハットに羽織はかまといういでたちで日の丸の旗を振っていた。
初めて応援に出掛けた夏季オリンピックは1964年の東京オリンピックであり、これ以降は日本がボイコットした1980年のモスクワオリンピックも含めて2016年のリオデジャネイロオリンピックまで14大会連続で夏 ……

山田直稔さんが誕生してから、98年と349日が経過しました。(36144日)
亡くなってから、6年と22日が経ちました。(2214日)
33930日間 生きました。

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