笠谷昌生かさやゆきお
元スキージャンプ選手[日本]
1935年 1月14日 生
2009年 2月18日 死去肺炎享年75歳
笠谷 昌生(かさや あきお、 1935年1月14日 - 2009年2月18日 )は、北海道後志支庁岩内郡岩内町出身のスキージャンプ選手。
北海道余市高等学校卒業後明治大学に進学、4回生のときスキー部主将を務める。
実弟に札幌オリンピック金メダリストの笠谷幸生がいる。
来歴・人物=
ジャンプを始めたのが高校入学直前と非常に遅かったが、それからわずか2年で大人達を打ち負かす活躍を見せ「神童」と呼ばれた。
当時は余市高校スキー部黄金時代でインターハイでは同僚久蔵が優勝し早稲田大学へ、笠谷は明治へ、青山選手は日本大学へとそれぞれ進学し、各大学のスキー部主将に就き、ライバルの関係は大学入学後も続いた。
主将時には自衛隊員から大学生へ進路変更した距離の年配の小西がいたが、部内では統率力を発揮し、ノルデックの部は完全優勝を果たし、インカレ総合優勝に導いた。
大学卒業後はスキー新勢力の羽幌炭鉱に所属、兄侃弘の力を借りて羽幌に50m級のジャンプ台(当時は大倉シャンツェと並ぶ大型シャンツェだった)を完成させたほか、国内外の競技会に出場した。
1960年の全日本選手権で弟の笠谷幸生に敗れたことを機に幸生に将来を託して現役を引退。
引退後は羽幌炭鉱の監督となり、幸生を始め、ジャンプや距離の後進の育成に励んだが、コーチとなって間もなく、ビデオカメラを導入して映像で踏み切り動作を解析するという現在では当たり前になっている方法を日本で初めて取り ……
笠谷昌生さんが誕生してから、89年と312日が経過しました。(32819日)
亡くなってから、15年と276日が経ちました。(5755日)
27064日間 生きました。