生年月日データベース

河合純一かわいじゅんいち

競泳選手[日本]

(日本パラリンピアンズ協会会長)

1975年 4月19日 生 (満50歳)

河合純一 - ウィキペディアより引用

河合 純一(かわい じゅんいち、1975年〈昭和50年〉4月19日 - )は、静岡県浜名郡舞阪町(現在の浜松市中央区)出身の元競泳選手、スポーツ庁長官。
日本障がい者スポーツ協会日本パラリンピック委員会委員長。
日本パラリンピアンズ協会会長。
スポーツ庁 オリンピック・パラリンピック教育に関する有識者会議委員。
概要= 先天性ブドウ膜欠損症のため生まれつき左目の視力はなく、右目の視力も非常に弱かった。
3歳の時に手術を受けることにより右目は一時わずかながらも視力を取り戻したが、15歳には右目の視力も完全に失い、全盲となる。
筑波大学附属盲学校高等部を経たのちに早稲田大学教育学部に入学、卒業後は母校でもある舞阪町(現在の浜松市)立舞阪中学校に赴任した。
舞阪中学校を2年間休職し、早稲田大学大学院教育学研究科学校教育に進学・専攻後、舞阪中学校に復職。
2008年(平成20年)、静岡県総合教育センター指導主事として着任。
スポーツ歴= 生まれた頃は右目の視力しかなかった。
5歳から水泳を始め、トレーニングを続け17歳の時に、1992年バルセロナパラリンピックに出場、銀メダルを2枚、銅メダルを3枚獲得した。
その間、15歳のときに全盲になる。
早稲田大学入学後もトレーニングを続け、1996年アトランタパラリンピックでは50m自由形B1、100m自由形B1で初の金メダルを2枚と銀メダルと銅メダルを1枚ずつ獲得した。
教員となってからも、2000年シドニーパラ ……

河合純一さんが誕生してから、50年と167日が経過しました。(18430日)

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