伊達周宗だてちかむね
陸奥仙台藩主[日本]
(寛政8年3月2日生)
1796年 4月9日 生
没年不詳
伊達 周宗(だて ちかむね)は、江戸時代後期の大名。
仙台藩9代藩主。
伊達氏25代当主。
仁孝天皇のはとこにあたる。
経歴=
寛政8年3月2日(1796年4月9日)、8代藩主・伊達斉村の長男として江戸にて誕生した。
母は鷹司輔平の娘、誠子(のぶこ)。
生母の誠子は産後の肥立ちが悪く、同年4月16日に23歳で死去した。
さらに同年4月21日には袖ヶ崎屋敷の祖父・伊達重村が死去した。
同年7月27日に袖ヶ崎の下屋敷に移るが、同じ日に国許で父が死去した。
こうして生後1年足らずの政千代(周宗)が仙台藩主を相続することになった。
本来なら将軍の御目見を得た後継者でないため相続できないところであったが、斉村の死去を幕府や家臣に隠した上で、親族の若年寄・堀田正敦(近江堅田藩主。
のち下野佐野藩主)や土井利謙(三河刈谷藩主)、重村正室で養祖母の観心院との協議の結果、8月15日に幕府に対して末期養子での相続願いを出した上で10月29日に襲封した。
併せて11代将軍・徳川家斉の三女である綾姫と婚約した。
観心院が周宗の養育と補佐を行い、その観心院と親戚大名の土井利謙や陸奥一関藩主・田村村資などとの相談の結果、堀田の後見を受けることとなった。
ただし、堀田の役割はあくまで幕府と藩内の双方に対して藩の政治的不安を解消させることが狙いであり、観心院は藩政は奉行の中村景貞(日向)および大内義門(縫殿)による補佐、藩内警護は一門家の伊達村氏( ……
伊達周宗さんが誕生してから、228年と224日が経過しました。(83501日)