真下耕一ましもこういち
アニメーション監督[日本]
1952年 6月21日 生 (満73歳)
真下 耕一(ましも こういち、1952年6月21日 - )は、東京都出身の日本の元アニメーション監督、演出家。
上智大学法学部卒業。
経歴=
小さい頃から映画好きで、高校時代から8ミリ映画を自主製作し大学時代は映画研究会に属した。
アニメには特に興味はなく、大学4年生のときに共同テレビで半年ほどアルバイトをしていたところ、アニメ制作会社タツノコプロの新聞求人広告を見て、映像作品を作る会社ということで1975年11月6日に入社する。
シナリオを書きたくて、演出助手を志望し、演出部長だった笹川ひろしより薫陶を受ける。
3ヶ月後には『タイムボカンシリーズ』(『タイムボカン』第33話「ビックリ!天女は宇宙人だペッチャ」)で初演出。
タツノコプロ時代は同期の西久保瑞穂、うえだひでひとや2年遅れて入社した押井守らと「タツノコ四天王」の異名を取った。
1981年の『ゴールドライタン』からチーフディレクターを務め、『未来警察ウラシマン』まで、次世代のタツノコプロのメカアクション路線を牽引した。
アブノーマルカラーを多用するなど、独特の演出技法に定評がある。
1984年にタツノコプロを離れフリーになる。
1980年代後半に『ウラシマン』制作プロデューサーの田村常夫と共に「銀河帝国」を設立するも数年で解散。
その後、再びフリーの演出家として古巣のタツノコプロの他、スタジオディーンなどで活動した後、1997年に堀川憲司(現・P.A.WORKS社長)と共に「ビィ ……
真下耕一さんが誕生してから、73年と104日が経過しました。(26767日)