小島洋々こじまようよう
俳優、声優[日本]
1891年 12月16日 生
没年不詳
小島 洋々(こじま ようよう、1891年12月16日 - )は、日本の元俳優、元男性声優、元オペラ歌手である。
本名は小島 正次(こじま まさじ)。
浅草オペラ、新派を経て映画俳優に転向、戦前・戦中の新興キネマ、東宝映画東京撮影所、戦後の新東宝、東映東京撮影所で長く活躍したバイプレーヤーとして知られ、映画出演数は200本を超える。
来歴・人物=
1891年(明治24年)12月16日、東京府東京市下谷区御徒町(現在の東京都台東区)に生まれる。
『日本歌劇俳優写真名鑑』(歌舞雑誌社)では、出生地は上記の通りだが、生年は「明治廿一年十二月十六日」(1888年12月16日)である旨が記されている。
旧制埼玉県浦和中学校(現在の埼玉県立浦和高等学校)を経て旧制東京音楽学校(1952年廃止)に進学する。
その影響もあって、この頃から旅芸人として各地を巡業していたといわれている。
1912年(明治45年)2月、旧制中学校卒業と共に帝国劇場洋劇部(歌劇部)第1期生として入部し、日本のオペラ界に影響を与えたイタリアの演出家ジョヴァンニ・ヴィットーリオ・ローシーにオペラを師事する。
同期には石井林郎、柏木敏、南部邦彦、山川浦路、河合磯代、澤美千代、中山歌子、夢野千草、石神たかね、原せい子、井上起久子などがいた。
1914年(大正3年)に卒業後、2ヶ月間は帝国劇場の専属俳優となり、南部邦彦、7代目松本幸四郎、三浦環らと共演。
1916年(大正5年)9月、舞台協会および新派俳優 ……
小島洋々さんが誕生してから、132年と340日が経過しました。(48553日)