桑山正一くわやましょういち
俳優、演出家[日本]
1922年 8月16日 生
1983年 9月4日 死去享年62歳
桑山 正一(くわやま しょういち、本名の読みは「まさかず」、1922年8月16日 - 1983年9月4日)は、昭和期の俳優・演出家。
元劇団民衆舞台所属。
2男1女あり、長男は桑山正道(舞台監督・舞台プロデューサー)、次男は桑山和之(映画プロデューサー)。
来歴・人物=
東京市本所区(現在の東京都墨田区)出身。
1943年に日本映画学校演技科を卒業し、戦争中は砲兵隊に所属して終戦時には仏領インドシナ(現ベトナム)で武装解除になり捕虜となる。
戦後、帰国後しばらく自由労働者をした後、木下順二が主宰する劇団「ぶどうの会」に参加。
劇団の創立メンバーとして、看板女優・山本安英の主演による『夕鶴』の与ひょう役をはじめ数々の舞台に出演した。
ぶどうの会解散後の1965年には自身が代表を務める「民衆舞台」を創設する。
主任演出家も兼ねた座長として演劇活動を続ける。
主な舞台として「敗戦シリーズ」でメッセージ性の強い作品と「民話の囲炉裏寄席」としてぶどうの会の流れをくむ作品を手がける。
また映画やテレビドラマにも数多く出演した。
飄々とした善役から憎々しい悪役まで、幅広い役柄を演じる個性派の名バイプレイヤーとして活躍した。
1983年9月4日、自宅で急に具合が悪くなり救急車で搬送されたが、心不全のため東京都文京区の日本医科大学付属病院で死去した。
『瀬戸内少年野球団』の春のシーンの撮影を残しての急死であったが、篠田正浩監督の意向で ……
桑山正一さんが誕生してから、102年と97日が経過しました。(37353日)
亡くなってから、41年と79日が経ちました。(15054日)
22299日間 生きました。