秋本祐作あきもとゆうさく
元プロ野球選手、プロゴルファー[日本]
1935年 6月30日 生
2016年 5月9日 死去慢性心不全享年82歳
秋本 祐作(あきもと ゆうさく、1935年6月30日 - 2016年5月9日)は、神奈川県中郡大磯町出身のプロ野球選手(投手)、プロゴルファー。
来歴・人物=
横須賀工業高校では、1952年秋季関東大会県予選準決勝に進むが慶應高に敗退。
1953年の秋に、知人の紹介で巨人の入団テストを受けるが、身長が基準に満たなかったため不合格となった。
京都大丸を経て、1956年に阪急ブレーブスへ入団。
1958年には48試合に登板して13連勝を含む14勝4敗、防御率1.89(リーグ3位)を記録し、最優秀勝率のタイトルを獲得。
また同年に記録した200投球回以上で被本塁打3本は、半世紀後の2008年に岩隈久志が記録している。
その後も先発、中継ぎをこなし活躍するが、1968年シーズン途中に広島東洋カープに移籍。
ここでは中継ぎとして起用され、1970年には5勝1敗の好成績を残す。
1972年に読売ジャイアンツに移籍し、1973年限りで現役引退。
引退後、阪急時代にお世話になった村上実の勧めで、阪急系列会社が所有していたるり渓のゴルフ場に営業担当として入社。
会員を増やすために、自らがプロゴルファーになることを決意。
当時、ゴルフ界のプロテストの受験資格は30歳までという年齢制限があったが、推薦プロゴルファー制度で受験資格を得ると(推薦プロゴルファー制度は同年限りで廃止されている)、1980年には45歳でゴルフのプロテストに合格。
プロゴルファーの道へ進み、ゴルフ関係の著書も出版。
現在は、講 ……
秋本祐作さんが誕生してから、90年と1日が経過しました。(32874日)
亡くなってから、9年と53日が経ちました。(3340日)
29534日間 生きました。