平原康多ひらはらこうた
競輪選手[日本]
1982年 6月11日 生 (満42歳)
平原 康多(ひらはら こうた、1982年6月11日 - )は、日本の競輪選手。
日本競輪学校第87期卒業。
日本競輪選手会埼玉支部所属。
師匠は太田耕二(太田真一の兄)。
ホームバンクは西武園競輪場。
平原啓多(97期)は弟。
略歴=
父・康広は弥彦競輪場に拠点を置く競輪選手(28期)であり、14歳までは競輪場がある弥彦村に隣接した岩室村(現在の新潟市西蒲区)で育った。
15歳の時に埼玉県狭山市に転居。
父の影響から自転車競技を始め、埼玉県立川越工業高等学校在学時にはジュニア世界選手権に出場している。
第87期生として入学した日本競輪学校では、全生徒中最終バック先頭回数が最も多かったことや恵まれた体格もあり、同期の中で最も将来性がある生徒と目されていた。
2002年8月5日、西武園競輪場でデビューし、初出走で初勝利。
2004年1月にはS級へ昇進し、同年のヤンググランプリに出場(7着)。
翌年のヤンググランプリでは山崎芳仁に続く2着となり、2006年頃からGIやGIIの常連となった。
2006年8月に開催されたふるさとダービー(富山競輪場)では、本命を背負った武田豊樹を相手に逃げ切り優勝。
また、同年の全日本選抜競輪決勝では3着に入り、初のGI表彰台を経験した。
2008年にはS級S班の初代18名に選出され、獲得賞金4位でKEIRINグランプリに初出場(KEIRINグランプリ08)。
井上昌己の2着に入賞する。
2009年、高松宮記念杯決勝では武田豊樹の番手を回り、最終2センタ ……
平原康多さんが誕生してから、42年と163日が経過しました。(15504日)