黒川弥太郎くろかわやたろう
俳優[日本]
1910年 11月15日 生
1984年 6月23日 死去享年75歳
黒川 弥太郎(くろかわ やたろう、1910年(明治43年)11月15日 - 1984年(昭和59年)6月23日)は、神奈川県横浜市磯子区中原町出身の俳優。
本名は黒川 清隆(くろかわ きよたか)。
身長は164cm。
来歴・人物=
1933年(昭和8年)、新国劇に入る。
芸名は子母沢寛原作の『弥太郎笠』より長谷川伸が名付けた。
1935年(昭和10年)、片岡千恵蔵に代わる主演スターを探していた文藝春秋の鈴木氏亨によりスカウトされ日活京都撮影所に入る。
以後時代劇スターとして活躍。
1937年(昭和12年)には東宝に移籍しここでも主演。
その後召集され、陸軍軍曹となる。
戦後は新東宝設立の中心人物のひとりとなる。
1952年(昭和27年)に大映へ、1959年(昭和34年)には東映へ移籍し、時代劇の主演・準主演で活躍。
1960年代半ば(昭和40年代)からはテレビ時代劇への出演が多くなる。
1984年(昭和59年)4月23日に浅草公会堂で新国劇「極付国定忠治 一本刀土俵入り」の稽古中に倒れ三井記念病院に運ばれ脳内出血と診断され入院するも、同年6月23日午前8時35分に死去した。
73歳没。
元妻は元タカラジェンヌで宝塚歌劇団22期生の玉藻刈子。
主な出演作品=
映画=
『忠臣蔵』で上使多門伝八郎を演じた黒川(右、左は浅野内匠頭の市川雷蔵)
堀部安兵衛(1936年、日活)- 堀部安兵衛
南国太平記(1937年、J.O.スタヂオ、のちビデオ化)
伊太八縞(1938年、東宝)- 伊太八 役
嵐に咲く花(1940年、東宝)- 蜆平九郎 ……
黒川弥太郎さんが誕生してから、114年と6日が経過しました。(41645日)
亡くなってから、40年と151日が経ちました。(14761日)
26884日間 生きました。