吉川満子よしかわみつこ
女優[日本]
1901年 6月21日 生
1991年 8月8日 死去急性心筋梗塞享年91歳
吉川 満子(よしかわ みつこ、1901年6月21日 - 1991年8月8日)は、日本の女優。
本名は吉川マン(よしかわ マン)。
来歴=
1901年(明治34年)6月21日、東京府東京市京橋区銀座4丁目の生まれ。
旧制泰明小学校(現在の中央区立泰明小学校)を卒業後、1924年(大正13年)に松竹キネマ研究所に入り、1925年(大正14年)に松竹蒲田撮影所に入社。
翌年、『孔雀の光』で映画初出演した。
五所平之助監督の『奔流』では田中絹代の母役を演じ、25歳の若さで初めから老け役を務めた。
1927年(昭和2年)に準幹部に昇進。
小津安二郎監督の『引越し夫婦』で渡辺篤の相手役を務めて以降、小津作品に欠かせない存在として『会社員生活』『生れてはみたけれど』『一人息子』などに出演した。
そのほか、『風の中の子供』『子供の四季』などで母親役を演じるほか、『人生のお荷物』などの作品に出演。
飯田蝶子・岡村文子と並ぶ名脇役として活躍した。
1939年(昭和14年)に大幹部となった。
1934年(昭和9年)、麻雀賭博容疑で広津和郎、福田蘭童らが検挙された事件で、事件が明るみに出た翌日に飯田蝶子や筑波雪子、結城一朗らと共に吉川も検挙されている。
戦後はフリーになり、新東宝『三百六十五夜』、松竹大船『この世の花』『秋津温泉』などに出演した。
1968年(昭和43年)以降はテレビを活動の中心とした。
1975年(昭和50年)に芸能界を引退したが、1984年(昭和59年)公開の伊丹十三の初監 ……
吉川満子さんが誕生してから、123年と153日が経過しました。(45079日)
亡くなってから、33年と106日が経ちました。(12159日)
32920日間 生きました。