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巨勢利和こせとしまさ

国学者歌人[日本]

(明和4年6月20日生)

1767年 7月15日

1834年 4月25日 死去享年68歳

巨勢 利和(こせ としまさ)は、江戸時代中期から後期にかけての旗本・国学者・歌人。
丹波亀山藩2代藩主・松平信直の四男。
諱は「としより」とも読む。
略歴= 明和4年(1767年)、誕生。
巨勢至親の養子となり、天明6年(1786年)に至親が没したため家督を継承した。
寛政元年(1789年)に使番となり、寛政4年(1792年)より火事場見廻役を兼ねる。
寛政7年(1795年)に小普請組となり、寛政8年(1796年)に小姓組の番頭に転任、従五位下日向守に叙任。
寛政10年(1798年)に西ノ丸書院番の番頭となり、大番頭を経て、文化6年(1809年)西ノ丸側衆となった。
加藤千蔭や清水浜臣の元で学んで歌道を習熟し、千蔭の著作の序文を認めるなどしている。
浜臣の覚えは良かったらしく、彼の死後、蔵書の管理を委任された。
また『うつほ物語』の考究を推進し、『新治抄』10巻を認めるなどの業績を残している。

巨勢利和さんが誕生してから、257年と304日が経過しました。(94173日)
亡くなってから、191年と20日が経ちました。(69783日)
24390日間 生きました。

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