若林強斎わかばやしきょうさい
儒学者[日本]
(延宝7年7月8日生)
1679年 8月14日 生
1732年 2月15日 死去享年54歳
若林 強斎(わかばやし きょうさい、1679年8月14日(延宝7年7月8日)‐ 1732年2月15日(享保17年1月20日))は、江戸時代中期に活躍した儒学者、神道家である。
名は進居。
通称は新七。
別号に寛斎・自牧、神道号を守中という。
山本復斎と並び浅見絅斎門の双璧と称された。
経歴・人物=
京都に生まれ、浅見絅斎の門人となる。
山崎闇斎派(崎門学派)の朱子学を学び、また玉木正英から神道を受け、儒学と神道を兼学して「実践躬行」を唱えた。
絅斎の没後、尊敬する楠木正成に因み、京都で「望楠軒」と言う家塾を開き、西依成斎・小野鶴山・沢田一斎・竹内式部・山口春水等の門人を輩出した。
晩年、大津錦織の地に一屋を借りて「滝津亭」と名付け、しばしば通って修養に励んだ。
昭和3年(1928年)、正五位を追贈された。
主な著作物=
「家礼訓蒙疏」
「若林子(強斎)語録」
若林強斎さんが誕生してから、345年と98日が経過しました。(126109日)
亡くなってから、292年と279日が経ちました。(106932日)
19177日間 生きました。