生年月日データベース

有馬康純ありまやすずみ

日向延岡藩主[日本]

(慶長18年8月1日生)

1613年 9月15日

1692年 5月27日 死去享年80歳

有馬 康純(ありま やすずみ)は、江戸時代前期の大名。
日向国延岡藩有馬家の第2代藩主。
官位は従五位下・左衛門佐。
晴信系肥前有馬氏3代。
諡号は嘉祥(かしょう)公。
生涯= 慶長18年(1613年)8月1日、有馬直純の長男として肥前国日野江(長崎県南島原市)原城に誕生した。
幼名は大助。
慶長19年(1614年)7月、父の転封に伴い縣に移る。
元和2年(1616年)、駿府(静岡市)で徳川家康に謁見、母の国姫が家康の曾孫だったことから寵愛され「康」の偏諱を授かり、蔵人康純と称す。
母と共に駿府ついで江戸藩邸に滞在。
寛永3年(1626年)9月1日、元服して従五位下に叙せられる。
寛永18年(1641年)に父の死去により家督を継ぎ、須志田村508石を除く諸縣郡の本庄村、森永村、竹田村、塚原村(現在はいずれも国富町の一部)の併せて3,000石を、弟の八兵衛元純(有馬純政、後に本多姓を名乗る)に分知し、旗本とした。
承応元年(1652年)から明暦元年(1655年)にかけて縣城(延岡城)を修築し、それに伴い近世城下町としての町割りが整われた。
なお、現在の延岡市の名称の由来は、康純が明暦2年(1656年)に今山八幡宮に寄進した梵鐘(「城山の鐘」)の銘文からきているともいわれている。
延宝7年(1679年)11月27日、家督を嫡子・清純に譲り、隠居。
延宝9年(1681年)4月21日、新たに建てた門川の隠居宅に移る。
天和2年(1682年)に剃髪して出家し、假宿と号す。
貞享4年(1687 ……

有馬康純さんが誕生してから、411年と64日が経過しました。(150182日)
亡くなってから、332年と175日が経ちました。(121438日)
28744日間 生きました。

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