生年月日データベース

浅田徳則あさだとくのり

外交官政治家[日本]

(嘉永元年10月26日生)

1848年 11月21日

1933年 3月30日 死去享年86歳
浅田徳則 - ウィキペディアより引用

浅田 徳則(あさだ とくのり、1848年11月21日(嘉永元年10月26日) - 1933年3月30日)は、日本の官僚、外交官、政治家。
貴族院議員。
幼名は泰治。
来歴= 京都出身。
浅田金吾の長男として生まれる。
慶応4年5月(1868年6-7月)、久美浜県書記として出仕し、同県権大属、生野県准大属を歴任。
明治4年9月(1871年10-11月)、大蔵省に移り戸籍権中属に任じられ、戸籍寮九等出仕、国債寮八等出仕などとなる。
1874年9月、外務省に移り外務一等書記生として米国公使館勤務となる。
以後、外務省公信局長心得、取調局長、公信局長、通商局長、兼会計局長、弁理公使などを歴任した。
1889年12月、知事に任命され、さらに、長野県知事、新潟県知事、広島県知事などを歴任した。
1900年6月、外務省総務長官(次官)兼官房長に就任。
1901年6月には逓信総務長官となり1903年9月まで在任。
同年同月23日、貴族院勅選議員となり、同和会に属し死去するまで在任。
1903年11月9日、錦鶏間祗候に任じられた。
後に実業界に転身し、東京電燈と合併した東京電力会社の社長などを務めた。
墓所は多磨霊園。
栄典= 位階 1884年(明治17年)6月30日 - 従五位 1895年(明治28年)2月20日 - 正四位 1900年(明治33年)3月20日 - 従三位 1903年(明治36年)10月30日 - 正三位 勲章等 1888年(明治21年)5月29日 - 勲四等旭日小綬章 1889年(明治22年)11月25日 - 大日本帝国憲法発布記念章 1897年(明治30年)12月28日 - 勲二等瑞宝章 1899年 ……

浅田徳則さんが誕生してから、176年と175日が経過しました。(64459日)
亡くなってから、92年と47日が経ちました。(33650日)
30809日間 生きました。

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