生年月日データベース

高岡徳太郎たかおかとくたろう

画家[日本]

1902年 7月27日

1991年 10月10日 死去享年89歳

一陽会の創立会員であり、また、マネキン人形やインテリアの制作会社ノバマネキン社々長をつとめ、陶器の制作も行うなど多面な活動を展開した高岡は、明治35(1902)年7月27日大阪府堺市に生まれた。はじめ、大阪天彩画塾で松原三五郎に洋画の手ほどきを受けたのち、大正13年には、大阪信濃橋洋画研究所へ通い小出楢重に師事した。同年の第11回二科展に初入選した。また、岡田三郎助が指導する本郷絵画研究所へ通ったこともある。昭和6年、第18回二科展に「I氏立像」で二科賞を受賞し二科会友となる。同9年林武とともに靖国丸で渡欧、翌年にかけパリでは自由研究所へ通った。同10年の第22回二科展に「踊り子」「田舎」「モンスリー公園」他の滞欧作品を特別陳列し、翌年二科会会員に推挙された。戦後は東郷青児らと二科会を再建し、同28年の第38回二科展に「岩」で会員努力賞を受けたが、同30年の二科展開催前に鈴木信太郎、野間仁根等と同会を脱退して新たに一陽会を結成し、同会委員(同48年)、常任委員をつとめた。一陽会展への出品作に「朝顔」(1回)「海」(2回)「裸婦」(4回)「犬吠岬の海」(9回)「夏の山A」(15回)「海からの道」(20回)「漁村の晴日」(25回)などがある。(引用元・日本美術年鑑 平成4年版)

高岡徳太郎さんが誕生してから、122年と117日が経過しました。(44678日)
亡くなってから、33年と43日が経ちました。(12096日)
32582日間 生きました。

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