佐々木祐滋 ささきゆうじ
歌手[日本]
1970年 6月6日 生 (満54歳)
佐々木 禎子(ささき さだこ、1943年〈昭和18年〉1月7日 - 1955年〈昭和30年〉10月25日)は、太平洋戦争末期の広島市への原子爆弾投下による被爆者の一人。
12歳の若さで白血病により亡くなり、広島平和記念公園にある『原爆の子の像』のモデルになった。
原爆を投下したアメリカ合衆国のシアトルの平和公園にも銅像がある。
2004年7月25日、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館に遺影が登録された。
このように彼女の死は日米で語り継がれているだけでなく、旧ソビエト連邦でも教科書に載るほど広く伝えられ、現在のロシア連邦でも千羽鶴を折るイベントが開かれるなどしているが、その意味合いは反核運動よりも、アメリカを非難して、それに対抗する核抑止力の必要性を訴える目的が濃厚であった。
生涯=
生い立ち=
1943年1月7日、広島県広島市に生まれる。
「禎子」という名前は、元気に育つようにという父母の願いをこめて、両親の店の客の姓名判断の先生に頼みつけてもらった。
1945年8月6日、2歳のときに広島に投下された原爆によって、爆心地から約1.6km離れた楠木町(広島市西区)の自宅で被爆した。
爆風により屋外まで飛ばされたものの、外傷は負わなかった。
しかし母に背負われて避難する最中に、放射性降下物を含む「黒い雨」に打たれた。
また祖母はその際に家に戻ったため亡くしている。
ともに被爆した母親は体の不調を訴えたが、禎子は不調を訴えることなく元気に成長した ……
佐々木祐滋 さんが誕生してから、54年と168日が経過しました。(19892日)