東條輝雄とうじょうてるお
航空技術者、三菱自動車工業 元社長・元会長[日本]
1914年 9月23日 生
2012年 11月9日 死去老衰享年99歳
東條 輝雄(とうじょう てるお、1914年(大正3年)9月23日 - 2012年(平成24年)11月9日)は、昭和期の日本の航空技術者、実業家。
来歴・人物=
陸軍大将・第40代内閣総理大臣:東條英機の次男として東京府東京市(現東京都)にて出生。
東京府立第六中学校、旧制福岡高等学校を卒業。
当初は数学が好きなので数学の先生になることを考え、大学受験時に父に相談すると、飛行機を勧められ、航空学科を選択した。
1937年(昭和12年)3月、東京帝国大学工学部航空学科を卒業。
同期は高山捷一、内藤子生、渋谷巌などで「花の十二年組」と呼ばれた。
三菱重工業に入社し、名古屋航空機製作所に勤務。
ゼロ戦の設計チームに配属され、強度計算を担当した。
その後、様々な機種の基本計画の作成のほか、爆撃機などの陸軍の大型機を担当し、四式重爆撃機「飛龍」やキ97試作中型輸送機の設計などをした。
伊丹空港に着陸するYS-11
第二次世界大戦敗戦後、航空機の研究・設計・製造の全面禁止で閑職となり、水島工場にて自動車の設計を担当する。
航空禁止令の一部解除後、日本航空機製造に出向してYS-11やC-1輸送機の開発のリーダーを務める。
三菱重工業に戻り、名古屋航空機製作所の所長となり、副社長に昇進し、MU-2、MU-300など自社開発事業の指揮やボーイングとの共同開発事業YX/B767を立ち上げた。
日本の航空機産業全体を束ねる人物として見られていた。
1981年(昭和56年)から三菱自動車 ……
東條輝雄さんが誕生してから、110年と59日が経過しました。(40237日)
亡くなってから、12年と12日が経ちました。(4395日)
35842日間 生きました。