藤沢和雄ふじさわかずお
競馬調教師[日本]
1951年 9月22日 生 (満73歳)
藤沢 和雄(ふじさわ かずお、1951年9月22日 - )は、中央競馬(JRA)・美浦トレーニングセンターに所属していた元調教師。
調教師として1570勝をあげた名伯楽として知られており、1993年から2009年までの間に、12度のJRA賞最多勝利調教師を獲得した。
戸籍上の表記は藤澤 和雄だが、JRAでは旧字体等での登録が認められていないため、新字体の「藤沢」に修正して登録、引退後の活動名も修正名義としている。
ただし、一部媒体では旧字体の名義を使用することもある。
なお、同姓の調教師・藤沢則雄(栗東所属)との区別のため、競馬新聞・スポーツ新聞等では「藤沢和」と表記されていた(両者に血縁関係はない)。
経歴=
大学にて教職課程を修得するが、教師への適性にみずから疑問を抱き、父の友人である小牧場「青藍牧場」の主、田中良熊のもとで馬産の手伝いをするようになる。
しかし、そのころはホースマンになろうという確固たる信念はなく、彼にとって競馬界は自身の将来を定めるまでの短い「腰掛け」に過ぎなかった。
しかし、青藍牧場で働くさなか、徐々に田中の影響を受け、藤沢はホースマンへの志を固めていく。
そして田中の強い勧めでイギリスへ渡り、名門厩舎のギャビン・プリチャード・ゴードン厩舎のもとで厩務員として4年間働き、そこで競馬に対する哲学、馬への接し方などの競馬理論を形成していくことになる。
ちなみに彼を競馬界へと導いた田中は、和雄がイギリ ……
藤沢和雄さんが誕生してから、73年と61日が経過しました。(26724日)