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アンドロニコス4世パレオロゴス

ローマ帝国皇帝[東ローマ帝国]

(ユリウス暦) 1348年 4月11日

(ユリウス暦) 1385年 6月28日 死去享年38歳
アンドロニコス4世パレオロゴス - ウィキペディアより引用

アンドロニコス4世パレオロゴス(Ανδρόνικος Δ' Παλαιολόγος, 1348年4月11日 - 1385年6月28日)は、東ローマ帝国パレオロゴス王朝の皇帝(在位:1376年8月12日 - 1379年7月1日)。
ヨハネス5世パレオロゴスの長男。
生涯= 1352年頃、幼くして父の後継者に指名され、1356年にはブルガリア皇帝イヴァン・アレクサンダル(在位:1331年 - 1371年)の娘キラツァ・マリアと結婚した。
2人の間には後に皇帝となるヨハネス7世パレオロゴスが生まれている。
順調な帝位継承の道を進んでいたかに見えたアンドロニコスは、しかし何時の頃からか父を排除して自らが単独支配者になる考えを抱き始める。
1370年、父ヨハネス5世はイタリア訪問中に負債の問題でヴェネツィアにて拘束され、この時首都コンスタンティノポリスにて摂政を務めていたアンドロニコスは、拘束解除に必要な手付け金支払いを父から求められたにも拘わらず無視したとされる(この役割は弟マヌエルが果たしている)。
この一件はアンドロニコスの最初の陰謀であると考えられる事が多かったが、特に悪意を込めての行動ではなく、単なる手違いであったようである。
しかし既にこの頃アンドロニコスの周辺には、ヨハネスを排除し、彼を擁立せんとする有力貴族の集団が形成されつつあった。
アンドロニコスの野心はもっと大胆な計画の実行によって明らかになった。
1373年、彼はオスマン帝国の皇帝ムラト1世(在位:1359年 - 1389年)の長男 ……

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