生年月日データベース

ディディウス・ユリアヌスMarcus Didius Severus Julianus

第19代ローマ帝国皇帝[ローマ帝国]

(ユリウス暦) 0133年 1月30日

(ユリウス暦) 0193年 6月1日 死去暗殺享年60歳
ディディウス・ユリアヌスの最期の言葉
私が何をした?…私が誰を殺したというのだ
ディディウス・ユリアヌス - ウィキペディアより引用

マルクス・ディディウス・セウェルス・ユリアヌス(ラテン語: Marcus Didius Severus Julianus、 133年1月30日 - 193年6月1日)は、第19代ローマ皇帝(在位:193年3月28日 - 193年6月1日)で、五皇帝の年における二番目の帝位請求者。
自由民階層の出身であった先帝ペルティナクスと違い高貴な血筋であったが、治世は同じく短命に終わった。
生涯= 生い立ち= マルクス・ディディウス・セウェルス・ユリアヌスはクィントゥス・ペトロニウス・ディディウス・セウェルス将軍とアエミリア・クララの長男として生まれた。
父クィントゥスはメディオラヌム一の名家であったセウェルス家の当主で、母アエミリアは属州アフリカに殖民した上流貴族の末裔であった。
アエミリアの一族はサルウィウス氏族に属しており、第7代ローマ皇帝マルクス・サルウィウス・オトとは親戚関係であった。
出生年月日についてはカッシウス・ディオは133年1月30日と記述しており、「ローマ皇帝群像」は137年2月2日と主張している。
初期の経歴= 宮殿に上がったユリアヌスはマルクス・アウレリウス帝の母であるドミティア・ルキッラの引き立てによって昇進したと考えられている。
彼はかなり若い年齢で出世の入り口であった二十人官に任命されており、家柄を考慮しても異例の抜擢であった。
153年にマヌリア・セカンティッラと結婚、長女ディディア・クララを儲けた。
ユリアヌスは財務官や造営官を歴任して功績を挙げ、162年に ……