アウルス・ウィテッリウス
第8代ローマ帝国皇帝[ローマ帝国]
0015年 生
(ユリウス暦) 0069年 12月20日 死去享年55歳
アウルス・ウィテッリウス・ゲルマニクス(ラテン語: Aulus Vitellius Germanicus, 15年9月7日(または24日) - 69年12月20日)は、ローマ帝国の皇帝(在位:69年4月16日 - 12月20日)。
「四皇帝の年」における3番目の皇帝。
生涯=
ウィテッリウスは3度(34年、43年、47年)執政官に就いたルキウス・ウィテッリウスの長男として生まれ、弟に父と同名のルキウス・ウィテッリウス(en)がいた。
出生日は9月7日あるいは9月24日と言われる。
カリグラ・クラウディウス・ネロの歴代皇帝の好意を得て、順調に出世する。
執政官や元老院管轄のアフリカ属州の総督の役職に就いた。
68年、ガルバが政権を取るとゲルマニア・インフェリオル軍団司令官として派遣される。
ガルバは自分に反感を抱いていたゲルマニア軍団の行動を抑制するために無能と考えられていたウィテッリウスを遣わしたと言われている。
ゲルマニア軍団はガリア・ルグドゥネンシス属州総督ガイウス・ユリウス・ウィンデクスによる反乱を鎮圧したが、ガルバはウィンデクスに呼応して皇帝になったので、両者の関係は悪化した。
さらにガルバは皇帝就任時の慣例となっていた賜金の支給を行わなかったので、軍団の不満はさらに大きくなっていた。
そんなとき、高貴な生まれで知られるウィテッリウスが遣わされたのである。
気前が良かったためたちまち人気がでた。
69年1月1日には、ゲルマニア・スペリオル軍団がガルバへの忠誠を拒否 ……