生年月日データベース

大林静子おおばやししずこ

浪曲師[日本]

1924年 7月24日

2004年 9月28日 死去享年81歳

大林 梅子(おおばやし うめこ、1907年6月24日 - 1995年3月17日)は、日本の女優である。
初期芸名は大林 静子(-しずこ)、出生名は大林 志づゑ(-しづえ)、結婚後の本名は鈴木 志づゑ(すずき-)である。
人物・来歴= 1907年(明治40年)6月24日、愛知県名古屋市矢場町(現在の同市中区栄3丁目)に「大林志づゑ」として生まれる。
1924年(大正13年)、東京市小石川区(現在の東京都文京区小石川)の淑徳高等女学校(現在の淑徳高等学校)を卒業する。
1925年(大正14年)、マキノ・プロダクション御室撮影所に入社、同社社長のマキノ省三監督によるサイレント映画『鎌腹』で、「大林静子」名義でデビューする。
翌1926年(大正15年)、中根龍太郎監督の『村に来た呑気者』で「大林梅子」に改名した。
1928年(昭和3年)、マキノ正博監督の『浪人街 第一話 美しき獲物』に女スリのお新役で出演、同作は同年のキネマ旬報ベストテン第1位を獲得する。
1930年(昭和5年)、マキノ・プロダクションでの女優ランクでマキノ智子、松浦築枝に続く第3位に位置した。
1929年(昭和4年)当時の雑誌記事によれば、当時の身長は「5尺」(151.5センチ)、体重は「13貫800匁」(51.75キロ)、趣味は三味線とあった。
1931年(昭和6年)、マキノ・プロダクションが解散となり、夫の南光明とともに松竹キネマ下加茂撮影所に移籍した。
悪麗之助監督の『紅蝙蝠 第一篇』が松竹入社第1作であった。
1933年(昭和8年)、 ……

大林静子さんが誕生してから、100年と120日が経過しました。(36645日)
亡くなってから、20年と54日が経ちました。(7359日)
29286日間 生きました。