小林富士夫こばやしふじお
プロゴルファー[日本]
1944年 7月15日 生 (満80歳)
小林 富士夫(こばやし ふじお、1944年7月15日 - )は、神奈川県出身のプロゴルファー。
医療法人光洋会所属 。
略歴=
日体荏原高校では丸山茂樹・伊沢利光の先輩となるが、小林は野球部の外野手で甲子園を目指し、東京都予選の決勝進出が最高の成績であった。
卒業後は横浜市中央卸売市場本場の仲買人、サラリーマン、トラック運転手などの職を経て、21歳で神奈川県のゴルフ場の管理課職員になったのが、プロを目指すきっかけになった。
22歳からゴルフの練習を始め、1970年に26歳でプロテストに合格。
プロ入り当初から手首の腱鞘炎が持病のようになっていたが、地味だがステディなゴルフを身上に活躍。
1975年の関東オープンでは最終日に青木功が6番で10mもの大フックラインを放り込み、これでエンジンがかかったのか、そこから数えて4連続バーディを獲って快進撃をすると、小林も7番でバーディを獲った後の、左へ直角に曲がる8番ロングホールで2オン1パットのイーグル。
一気に5アンダーとして、青木との1打差を守った。
14番でもバーディを獲ったが、2位に終わった。
1976年のくずは国際で陳健忠(中華民国)を抑えて逆転でツアー初優勝を飾ると、1977年のブリヂストンオープンでは最終日に18番でパットを手堅く寄せるなど通算10アンダーで逆転優勝を飾り、1978年にはロサンゼルスオープンに出場。
帰国後の日本プロでは初日に青木らと共に4位に付けると、2日目には尾崎健夫と共に6 ……
小林富士夫さんが誕生してから、80年と129日が経過しました。(29349日)