神野卓哉じんのたくや
元男子サッカー選手[日本]
1970年 6月1日 生 (満54歳)
神野 卓哉(じんの たくや、1970年6月1日 - )は、埼玉県草加市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。
選手時代のポジションは主にフォワード(FW)。
初代J2得点王。
来歴=
修徳高校在学時に頭角を現し、2年次には東京都選抜の一員として国体でベスト4、3年次には高校総体でベスト8に進出した。
1989年に同校を卒業し、日本サッカーリーグ1部の日産自動車サッカー部(現横浜F・マリノス)に加入。
当初は日産の厚い選手層の中で出場機会を得られずにいたが、1990-91シーズンにオスカー監督の抜擢によりリーグデビュー。
縦への鋭い突破で、第8節の読売サッカークラブ(現東京ヴェルディ)戦で初得点を決めると、その後も1990-91シーズン後期、1992年のJリーグカップ、第72回天皇杯全日本サッカー選手権大会決勝延長戦での決勝ゴールなど、読売クラブや後継の東京V戦になると得点を重ねたことから読売キラーの異名で呼ばれ スーパーサブとして活躍した。
1991年にバルセロナ五輪予選代表に選ばれ、翌1992年のアジア最終予選に出場。
またハンス・オフト監督時代には日本代表にも召集され、アジアカップのメンバーにも選出されたが、国際Aマッチ出場機会はなかった。
1996年、ジャパンフットボールリーグ・ヴィッセル神戸へ移籍。
同年のリーグ戦で二桁得点を挙げ、翌年からのJリーグ昇格に貢献したが、Jリーグでは振るわず1998年限りで契約非更新となる。
1999年よりJリーグは2部制(J2創設) ……
神野卓哉さんが誕生してから、54年と173日が経過しました。(19897日)