国松孝次くにまつたかじ
警察官僚、元 警視庁長官[日本]
1937年 6月28日 生 (満87歳)
國松 孝次(くにまつ たかじ、1937年〈昭和12年〉6月28日 - )は、日本の警察官僚、外交官。
警察庁長官、在スイス日本大使、NPO法人救急ヘリ病院ネットワーク理事長、同会長などを歴任。
来歴=
1937年、静岡県浜松市生まれ。
静岡県立浜松西高等学校、東京大学法学部第2類(公法コース)卒業。
大学4年生に肺結核を患ったため、民間企業では採用されず、東京大学剣道部師範から警察官になることを勧められて入庁。
1961年、警察庁入庁。
警視庁本富士警察署長、警視庁総務部広報課長、在フランス日本国大使館1等書記官、大分県警察本部長、警視庁公安部長、兵庫県警察本部長、1991年に警察庁刑事局長などを経て、1993年に警察庁次長。
1994年 警察庁長官に就任。
1995年3月30日、東京都荒川区南千住のマンションで狙撃され(警察庁長官狙撃事件)、一時危篤状態となったが2か月半後に復帰。
1997年 退官。
1998年~1999年、自動車安全運転センター理事長。
1999年~2002年、在スイス特命全権大使。
2003年、NPO法人救急ヘリ病院ネットワーク理事長に就任し、2012年から会長を務めた。
この他、公益財団法人「犯罪被害救援基金」理事長代行、損保ジャパン顧間(非常勤)、日興コーディアルグループ特別顧間(非常勤)、丸紅社外取締役などを務める。
特定非営利活動法人日本防災士機構会長。
人物=
警視庁総務部広報課長時代、長野県軽井沢町で発生したあさま山荘事件に警察庁の派遣幕僚 ……
国松孝次さんが誕生してから、87年と335日が経過しました。(32112日)