浅野賢澄あさのよしずみ
フジテレビ 元社長・元会長[日本]
1916年 4月19日 生
1997年 7月31日 死去享年82歳
浅野 賢澄(あさの よしずみ、1916年〈大正5年〉4月19日 - 1997年〈平成9年〉7月31日)は、日本の官僚、実業家。
郵政事務次官、フジテレビジョン社長、日本民間放送連盟第5代会長を務めた。
岐阜県出身。
来歴・人物=
京都帝国大学法学部卒業後、逓信省入省。
経理局に配属される。
短期現役海軍主計科士官(5期)を志願し、1940年(昭和15年)9月に海軍経理学校に入学し海軍主計中尉に任官。
1941年(昭和16年)1月に経理学校を卒業。
工作艦明石に配属され、以後、海南警備府司令部付副官事務、舞鶴海軍航空隊主計長兼副官、第31航空廠会計科長、第三南遣艦隊司令部付、第33警備隊主計長兼副官を歴任。
ミンダナオ島の戦いで辛酸をなめた。
1945年(昭和20年)5月、主計少佐に進む。
終戦後、タクロバン収容所に捕虜として収容され、1946年(昭和21年)3月に復員(解員)した。
郵政大臣官房文書課長、電波管理局長等を歴任し、1967年(昭和42年)郵政事務次官に就任する。
佐藤政権下の67年から69年にかけて、元逓信官僚の郵政相・小林武治と事務次官の浅野が、35局のテレビ局に予備免許を与えるという第二次大量免許を主導した。
もっとも、権益を守りたい既存のテレビ局と新規参入側との利害が錯綜するだけに、政治的にまとめるには田中角栄の腕力が必要だった。
浅野は郵政相時代の田中に側で仕えて第一次大量免許に道を拓き、田中が電波行政に通暁するとともに官僚トップの事務 ……
浅野賢澄さんが誕生してから、109年と167日が経過しました。(39979日)
亡くなってから、28年と64日が経ちました。(10291日)
29688日間 生きました。