浅野賢澄あさのよしずみ
フジテレビ 元社長・元会長[日本]
1916年 4月19日 生
1997年 7月31日 死去享年82歳
浅野 賢澄(あさの よしずみ、1916年〈大正5年〉4月19日 - 1997年〈平成9年〉7月31日)は、日本の官僚、実業家。
郵政事務次官、フジテレビジョン社長、日本民間放送連盟第5代会長を務めた。
岐阜県出身。
来歴・人物=
京都帝国大学法学部卒業後、逓信省入省。
経理局に配属される。
郵政大臣官房文書課長、電波管理局長等を歴任し、1967年(昭和42年)郵政事務次官に就任する。
佐藤政権下の67年から69年にかけて、元逓信官僚の郵政相・小林武治と事務次官の浅野が、35局のテレビ局に予備免許を与えるという第二次大量免許を主導した。
もっとも、権益を守りたい既存のテレビ局と新規参入側との利害が錯綜するだけに、政治的にまとめるには田中角栄の腕力が必要だった。
浅野は郵政相時代の田中に側で仕えて第一次大量免許に道を拓き、田中が電波行政に通暁するとともに官僚トップの事務次官に駆け上がったとされる。
35局のうちフジテレビの番組供給率が50%以上の局が14を占め、フジテレビは一挙に全国ネットワーク構築に成功した。
次官退任後、1971年(昭和46年)の参議院選挙・岐阜県選挙区から自民党公認で出馬するが、中村波男(日本社会党)に1万票余りの差で敗れ落選した。
フジテレビ社長=
1971年11月、フジテレビに社長含みの副社長で天下る。
1973年、社長であった鹿内信隆の発案をもとに幼児向け番組『ひらけ!ポンキッキ』が始まるが、番組タイトルの「ひらけ」は、説話『 ……
浅野賢澄さんが誕生してから、108年と216日が経過しました。(39663日)
亡くなってから、27年と113日が経ちました。(9975日)
29688日間 生きました。