園山俊二そのやましゅんじ
漫画家[日本]
1935年 4月23日 生
1993年 1月20日 死去肝臓がん享年59歳
園山 俊二(そのやま しゅんじ、1935年〈昭和10年〉4月23日 - 1993年〈平成5年〉1月20日)は、日本の漫画家。
血液型B型。
略歴=
島根県松江市外中原町生まれ。
島根大学教育学部附属小学校、同附属中学校、島根県立松江高等学校(現・島根県立松江北高等学校)を経て、早稲田大学商学部卒業。
早稲田大学在学中、英文科の講師三浦修や、同級生のしとうきねおらとともに早稲田大学漫画研究会を創設するも、結核の療養のため1年休学。
復学後に漫研に復帰し、後輩の福地泡介、東海林さだおと出会う。
園山・福地・東海林はのちに相次いでプロとなり、3人が出揃った1960年代後半当時の学生運動になぞらえて「漫画界の三派全学連」と称された。
在学中の1958年、学内での展覧会を通じて知己を得ていた毎日小学生新聞の編集長・原本秀雄にスカウトされ、同紙で『がんばれゴンベ』を連載開始し、プロデビュー。
元は数か月だけ連載する予定だったが、35年にわたる長期連載となった。
新聞連載のかたわら、大学を卒業。
しとうの世話で広告代理店に就職するも、入社当日の正午、食事に外出したまま会社に戻らず、そのまま辞職。
「自分は勤め人にそぐわない性格だと判断した」「食うのにつらくても漫画一本で生きた方がよい」と思ったという。
以降専業の漫画家として、児童漫画および大人漫画の連載作品を多数発表する。
1961年、寺田ヒロオの紹介で、第2次新漫画党に参加。
トキワ ……
園山俊二さんが誕生してから、89年と213日が経過しました。(32720日)
亡くなってから、31年と305日が経ちました。(11628日)
21092日間 生きました。