篠田ひでおしのだひでお
漫画家[日本]
1939年 11月15日 生 (満85歳)
しのだ ひでお(1939年11月15日 - 2022年8月20日、本名:篠田英男)は、日本の漫画家。
元大垣女子短期大学教授・副学長。
鳥取県日野郡溝口町(現・西伯郡伯耆町)出身。
篠田ひでおとも表記。
もっぱら小学館の学年誌や学研の雑誌等に掲載される児童漫画の領域で活躍した。
経歴=
鳥取県立鳥取西高等学校卒業後、1958年(昭和33年)に上京し、19歳の時に手塚治虫のアシスタントとなり、1959年(昭和34年)、20歳で少女漫画で独立しデビュー。
上京時に手塚が引っ越したあとの並木ハウスの部屋を譲ってもらい、近所のトキワ荘へたびたび遊びに行っていたことから藤子不二雄の両人と親しくなり、藤子スタジオの社員ではなかったにもかかわらず、専用の机が用意され、『怪物くん』『黒イせぇるすまん』などの多くの作品で作画協力アシスタントを務めた。
「藤子不二雄としのだひでお」の名義で発表された『ぼくんちのタコくん』(1965年〜1967年)は、安孫子素雄としのだの合作。
翌年から連載された『ベラボー』(1968年〜1969年)は藤本弘としのだの合作である。
『ベラボー』は「藤子不二雄 協力・しのだひでお」名義で連載されたが、のちに「藤子不二雄としのだひでお」名義となった。
1969年の秋には『ドラえもん』と『モジャ公』の連載開始で藤本が多忙となったため、『ドラえもん』と同時掲載となった『ウメ星デンカ』7回分(3誌の合計)の作画をしのだが担当した。
藤本が原稿用紙 ……
篠田ひでおさんが誕生してから、85年と7日が経過しました。(31053日)