日高信六郎ひだかしんろくろう
外交官、登山家[日本]
1893年 4月10日 生
1976年 6月18日 死去享年84歳
日高 信六郎(ひだか しんろくろう、1893年4月10日 - 1976年6月18日)は、日本の外交官、登山家。
駐イタリア、イタリア社会共和国大使、日本山岳会会長。
経歴=
生い立ち=
日本郵船社員であり、後に若松築港会社(後の若築建設)支配人を務めた高橋達の二男として、横浜市に生まれる。
6歳の時、祖母の実家である福岡市の日高家の養子となる。
福岡県立中学修猷館在学中に、九州の山々を一人で登山することを楽しみ、日本山岳会に入会。
1915年第一高等学校英法科を首席で卒業し、1919年7月東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。
外務省=
1919年10月高等試験外交科試験に合格し、同年11月外務省に入省。
1920年8月フランス大使館に配属され、1921年1月ユングフラウに登頂し、同年8月モンブランの日本人初登頂を成し遂げる。
1922年12月スイス在勤、1923年3月同公使館三等書記官、1924年2月外務事務官・亜細亜局第二課、1924年12月亜細亜局第一課、1927年2月大使館三等書記官・フランス在勤となり、同年6月国際連盟事務局事務官としてパリに在勤となる。
1928年6月二等書記官。
1933年3月中華民国・上海在勤、同5月総領事兼公使館一等書記官・南京在勤、1934年3月外務書記官・人事課長を経て、1937年4月南京の在華大使館参事官となり、盧溝橋事件に際しては、外務大臣広田弘毅の要請により、その不拡大のため国民政府外交部長の王寵恵との和平交渉を行う。
その後、第二次上海事変に遭遇している。
1938 ……
日高信六郎さんが誕生してから、131年と224日が経過しました。(48072日)
亡くなってから、48年と156日が経ちました。(17688日)
30384日間 生きました。