江木理一えぎりいち
アナウンサー[日本]
1890年 4月10日 生
1970年 2月16日 死去享年81歳
江木 理一(えぎ りいち、1890年 〈明治23年〉4月10日 - 1970年〈昭和45年〉2月16日)は日本の軍人、NHKアナウンサー。
ラジオ体操の初代担当アナウンサーとして知られている。
人物・エピソード=
福島県棚倉町出身。
陸軍戸山学校卒。
専門は軍楽で、フルート奏者だった。
母校・陸軍戸山学校軍楽隊の三等楽長(少尉相当)だった1928年、昭和天皇御大典記念事業の新番組として『ラジオ体操』が企画されると、指導者として声が良く体育にも明るい人物が求められ、江木が陸軍戸山学校長の推薦により抜擢された。
社団法人日本放送協会(NHK)東京中央放送局(JOAK)に嘱託として迎えられ、当初は年間2千円(当時の貨幣価値で1千万円以上に相当)という好待遇で契約を結んだ。
同期に橘内英次(旧姓・石母田)、薄田太郎、津島定一、三原登美(旧姓・河村)。
放送は1928年11月1日に開始され、ピアノ伴奏者は丹生健夫が務めた。
第1回放送時、江木はサーベルを下げた軍服姿で放送局に現れ、「気をつけ! ただ今からラジオ体操を始めます」という号令調の第一声をかけ、不評を買った。
翌日からの江木は態度を改め、体操着姿でスタジオに入り、「皆さん、おはようございます」とにこやかに語りかけるように調子を変えた。
やがて定着した「全国の皆さーん、おはようございます。
さあ、きょうも元気で、体操を始めていただきましょう」という独特の口調の号令は、国民に大人気となった。
江木理一さんが誕生してから、135年と80日が経過しました。(49389日)
亡くなってから、55年と134日が経ちました。(20223日)
29166日間 生きました。