ヘルベルト・フォン・カラヤンHerbert von Karajan
指揮者[オーストリア]
1908年 4月5日 生
1989年 7月16日 死去享年82歳
ヘルベルト・フォン・カラヤン(Herbert von Karajan, ドイツ語: [ˈhɛɐbɛɐt fɔn ˈkaraˌjan] ( 音声ファイル), 1908年4月5日 - 1989年7月16日)は、オーストリア=ハンガリー帝国、ザルツブルク公国ザルツブルク生まれの指揮者。
1955年より1989年までベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の終身指揮者・芸術監督を務め、一時期それと同時にウィーン国立歌劇場の総監督やザルツブルク音楽祭の芸術監督などのクラシック音楽界の主要ポストを独占し、多大な影響力を持つに至った。
20世紀のクラシック音楽界において最も著名な人物のひとりであり、日本では「楽壇の帝王」と称されていた。
また、その独自の音楽性と自己演出は「魔術師カラヤン」「カラヤン美学」などと謳われ時代の寵児にもなった。
人物・来歴=
オーストリア・ザルツブルクにあるカラヤンの生家
父・エルンスト(1868-1951)と母・マルタ(1881-1954)
兄・ヴォルフガング、2人の友人とともに写る幼少期のカラヤン
カラヤンは1908年にザルツブルク公国のザルツブルクで、騎士 (Ritter) の子として生まれた。
兄のヴォルフガング・フォン・カラヤン(ドイツ語版)(1906年 - 1987年)も後に音楽家になっている。
先祖は東ローマ帝国に仕えたギリシャ人のカラヤニス家(Karaiannis, Caragianni)の出身であるといわれているが、ギリシャ化したアルメニア人(スラブ系マケドニア人の説もあり)だという説もある。
カラヤンのカラはテュルク語で「黒」を意 ……
ヘルベルト・フォン・カラヤンさんが誕生してから、116年と230日が経過しました。(42599日)
亡くなってから、35年と128日が経ちました。(12912日)
29687日間 生きました。