生年月日データベース

桜井眞一郎さくらいしんいちろう

自動車技術者[日本]

1929年 4月3日

2011年 1月17日 死去享年83歳
桜井眞一郎 - ウィキペディアより引用

桜井 眞一郎(さくらい しんいちろう、1929年4月3日 - 2011年1月17日)は日本の自動車技術者。
株式会社エス・アンド・エス エンジニアリング取締役会長。
日本自動車殿堂入り、オーテックジャパン初代代表取締役。
神奈川県出身。
戸籍上の氏名は、櫻井 眞一郎。
旧プリンス自動車工業時代より日産自動車時代に渡るまでスカイラインの開発に携わる。
2代目の途中からは開発責任者(主管)として7代目の開発終盤まで長期間携わっていたことから、「GT-Rの生みの親」「ミスタースカイライン」「スカイラインの父」として知られている。
清水建設に勤務していた時代に「日本で初めてバッチャープラントとコンクリートミキサー車(生コン車)を開発した」と伝えられるが、これについては異論も出されている。
略歴= 以下、参考文献は「出典」欄に示す。
それぞれを照らし合わせ、微修正した。
一次資料としては荻友会編『「プリンス」荻窪の思い出 - II』を最優先した。
「プリンス自動車工業」という社名は世に2度登場するので、以下では便宜上、(旧)(新)と括弧書きで付記。
横浜国立大学時代の桜井眞一郎 (19歳) 1929年(昭和4年)4月3日 神奈川県横浜市生まれ 1951年(昭和26年)3月 横浜国立大学 機械工学部卒業 1951年(昭和26年)4月 清水建設 機械部配属 1952年(昭和27年)10月 たま自動車 設計課配属(課長は田中次郎、課長代理は初代スカイライン、初代グロリア、2代目グロリア ……

桜井眞一郎さんが誕生してから、95年と233日が経過しました。(34932日)
亡くなってから、13年と310日が経ちました。(5058日)
29874日間 生きました。

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