生年月日データベース

長野重一ながのしげいち

写真家[日本]

1925年 3月30日

2019年 1月30日 死去慢性腎不全享年95歳

長野 重一(ながの しげいち、1925年3月30日 - 2019年1月30日)は、日本の写真家。
来歴= 1925年 (大正14年) 3月30日、大分県魚町で歯科医の生野廿一、母・もと子の次男として生まれた 。
まもなく、子供のなかった叔父で実業家の長野善五郎・千佐夫妻の養子に出された。
長野夫妻は東京在住だったが、重一は実の父母と大分で暮らしていた。
重一が大分を離れて東京に移り住むのは、1932年 (昭和7年) 以降のことである。
この年、東京・高輪にあった養父母の家へ移った。
ただ、前年に養父の善五郎は亡くなっている。
東京に移住してからは、高輪小学校に転入したが、1935年 (昭和10年) には慶應義塾幼稚舎へ転入、その後、1938年 (昭和13年) に慶應義塾普通部へ進学、1942年 (昭和17年) に慶應義塾経済学部大学予科入学、1947年 (昭和22年) 9月に慶應義塾大学経済学部を卒業した。
1945年 (昭和20年) には空襲で高輪の家を焼失したため逗子市に転居、召集令状を受け取るなどの憂き目に会うが、入隊前に終戦になったため兵隊にとられることはなかった。
終戦後は、『キネマ旬報』などの映画雑誌での撮影や、DP屋、家庭教師などのアルバイトで生活していた。
写真歴は、慶應幼稚舎に入ったころに浅草で買ったおもちゃのカメラに夢中になったのが最初で、その後も普通部の時代に、実父に買ってもらったオリンピック・ジュニアで撮影に熱中したり、予科在学時に写真サークル「フォトフレンズ」に入会するな ……

長野重一さんが誕生してから、99年と236日が経過しました。(36396日)
亡くなってから、5年と296日が経ちました。(2122日)
34274日間 生きました。

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