バーバラ寺岡ばーばらてらおか
料理研究家[日本]
1945年 3月28日 生 (満79歳)
バーバラ寺岡(バーバラ てらおか、本名;寺岡 たみ子、1945年〈昭和20年〉3月 - 2017年〈平成29年〉6月2日)は、料理研究家。
「バーバラ」(ハンガリー語の「ボルバーラ」(Borbála [ˈborbɑ̈ːlɒ]) を英語読みしたもの)という名前は彼女の祖母の名前であり、仕事をするようになった際に姓名判断により選んだ名前である。
白百合学園卒業。
生涯=
ハンガリーのブダペストに、日本公使だった寺岡洪平と美顔術師の母親・ユーハース・エリザベス(ハンガリー語の「ユハース・エルジェーベト」(Juhász Erzsébet [ˈjuhɑ̈ːs ˌerʒe̝ːbɛt]) を英語読みしたもの)の間に生まれる。
バーバラの生後まもなく父はソビエトでの抑留を経て終戦直前に日本に強制送還、母と娘はブダペストに取り残された。
洪平はサンフランシスコ条約締結時には吉田茂の秘書官として仕え、1952年駐ドイツ臨時代理大使としてボンに赴任。
1953年11月の日本帰国時に母子はハンガリーを出国、ウィーンで親子は約9年ぶりに再会して日本に戻る。
洪平は1960年に40歳で死去。
1966年「デザートとお菓子」という著書で料理研究家としてデビューし、1970年の日本にまだ登場して間もなかった電子レンジを使った調理法を初めて紹介した。
1980年代に膠原病を患うが、中国の伝統薬膳料理でその病気を克服することに成功する。
料理研究のほか、文化、環境、自衛隊などの活動についての評論、生活用品開発のプロデュースなど多方面に活躍を広 ……
バーバラ寺岡さんが誕生してから、79年と238日が経過しました。(29093日)