花柳芳次郎はなやぎよしじろう
日本舞踊家・5代目[日本]
1931年 3月22日 生 (満93歳)
花柳 芳次郎(はなやぎ よしじろう)は、日本舞踊・花柳流における名跡のひとつである。
花柳流を創流した初代花柳壽輔が、壽輔を名乗る前の芸名に由来し、花柳流においては最も古く、代々の家元の名跡「花柳壽輔」に次ぐ由緒ある名跡とされる。
六代目芳次郎が2016年に五代目壽輔を襲名した後は空き名跡となっている。
初代=
のちの初代花柳壽輔。
6歳で西川扇蔵に弟子入りし、「芳松」という芸名を与えられたとされる。
のち7代目市川團十郎に弟子入りし市川鯉吉の名で役者になる。
天保10年(1839年)に役者を廃業して西川に戻るとともに「芳次郎」の名を使い始める。
「芳」の字は初代芳次郎が吉原出身であったため、「よし」の読みを取って付けられたとものとされる。
二代目=
二代目花柳芳次郎(1845年 - 1873年)は初代壽輔の長男であり、瀬川路之丞の名で歌舞伎役者となったが、1873年に29歳で病死する。
三代目=
三代目花柳芳次郎(1870年10月 -?)は、初代の養子。
1870年(明治3年)、深川大工町にて、銀座役人福島惣右衛門の三男・惣吉として生まれる。
父親が転業し、日本橋区元大阪町(現・日本橋人形町1丁目辺り)にて茶会席「浪速屋」を開店、9歳のとき客前で踊りの手振りなどをしていたところ、初代壽輔から誘いがあり、養子となって壽輔のもとで舞踏家として育つ。
しかし、初代壽輔没後の1904年頃に離縁し、芳次郎の名跡は初代壽輔の養女花柳ツルが預かることとな ……
花柳芳次郎さんが誕生してから、93年と245日が経過しました。(34213日)