美川陽一郎みかわよういちろう
俳優[日本]
(旧芸名・美川洋一郎)
1918年 3月2日 生
1976年 6月2日 死去享年59歳
美川 陽一郎(みかわ よういちろう、1918年3月2日 - 1976年6月2日)は、日本の俳優である。
本名は三川 義一(みかわ よしかず)、旧芸名は美川 洋一郎。
東京市生まれ。
来歴・人物=
世田谷中学(私立)を卒業後、義母との折り合いが悪く家出、17歳の時に榎本健一の付き人となったのが芸能界入りのきっかけである。
1937年、19歳の時に新国劇に入団、当初から老け役を得意とし、『白野弁十郎』、『大菩薩峠』などに出演した。
終戦後の1952年、映画『次郎長三国志』(東宝、マキノ雅弘監督)の次郎長役に抜擢され、新国劇を退団するが、東宝の創業者・小林一三の意向で、次郎長役は小堀明男に決定したため、美川は端役に回された。
失意の時期を経て日活に移籍、芸名も「美川洋一郎」から「美川陽一郎」に改め、老け役で数々の作品に助演した。
1963年、TBSの刑事ドラマ『七人の刑事』のレギュラー、ベテランの小西刑事役に抜擢され、注目を浴びた。
以降、多くのテレビドラマに脇役で出演していたが、1976年6月2日に肺炎で急死した。
58歳没。
当時レギュラー出演していた『必殺仕業人』(16話まで出演)と『遠山の金さん』(40話まで出演)の2作品が遺作となった。
本人は老け役を好み、実年齢より老けて見られることこそ演技力を評価されるものと思っていた。
TV中心となって活躍するようになってからは、特に善良な老人役を好んで演じており、その結果時代劇ではほとんど切られ ……
美川陽一郎さんが誕生してから、106年と264日が経過しました。(38981日)
亡くなってから、48年と172日が経ちました。(17704日)
21277日間 生きました。