一色伸幸いっしきのぶゆき
脚本家[日本]
1960年 2月24日 生 (満64歳)
一色 伸幸(いっしき のぶゆき、1960年2月24日 - )は、日本の脚本家、小説家。
東京都葛飾区亀有出身。
神奈川県鎌倉市在住。
グランドスラム所属。
来歴=
鎌倉学園高校卒業、青山学院大学文学部英米文学科中退。
自主映画製作を経て、松竹シナリオ研究所の一期生としてシナリオを学んだ後、野村芳太郎監督、浦山桐郎監督らに師事し、1982年、火曜サスペンス劇場『松本清張の脊梁』で脚本家デビュー。
1987年、『私をスキーに連れてって』などの大ヒットで名を高め、アイディア豊富な喜劇や青春映画を得意とする売れっ子となった。
以降、各ジャンルで多彩な作品を発表している。
1993年から1994年にかけ、うつ病を患い、うつ病患者の内面を、2007年のエッセイ「うつから帰って参りました」、2008年の小説『配達されたい私たち』(後にドラマ、舞台化)で表現している。
劇中歌の作詞を好み、「紙のドレスを燃やす夜〜香港大夜総会〜」の「ホンコンフラワー」、「彼女が死んじゃった。
」の「とんちたいそう」や「555」、「LIVE!LOVE!SING! 生きて愛して歌うこと」の「GIGつもり」などを書いている。
趣味は旅行とスクーバダイビング。
バンド「FLYING KIDS」のファンで、小説『幸せであるように』は同バンドの同名曲をモチーフにしている[1]。
映画化されなかった同名のシナリオもあり、同楽曲が挿入歌になるはずだった。
俳優の一色洋平は実の息子である。
主な作品=
映画=
1984 ……
一色伸幸さんが誕生してから、64年と271日が経過しました。(23647日)