蔦谷喜一つたやきいち
画家[日本]
1914年 2月18日 生
2005年 2月24日 死去享年92歳
蔦谷喜一(つたや きいち、1914年2月18日 - 2005年2月24日)は画家、塗り絵作家。
東京都出身。
生涯=
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1914年(大正3年)、京橋の紙問屋「蔦谷音次郎商店」の9人兄弟の7番目(五男)として生まれる。
1931年(昭和6年)、東京市立京橋商業学校を中退し、画家を志し川端画学校で学ぶ。
1939年(昭和14年)、画家としてはなかなか芽が出ず、見兼ねた兄の口利きで25歳にして商売をすることになり、菓子店の経営者となるが、商才は全くなく、赤字により1年ほどで店を閉める。
1940年(昭和15年)、友人が持ち込んだ「ぬりえ」の仕事をフジヲの名で始める。
フジヲは、夏目漱石の「虞美人草」の藤尾からとった。
「フジオのぬりえ」は、当時のぬりえの主流だった物の形をかたどっただけのものとは違い、美人画に近いものだったため、当時の女児に人気となった。
しかし翌1941年(昭和16年)には、太平洋戦争の勃発により物資統制が開始され、市場から塗り絵が消えていく。
喜一も1943年より軍需工場に動員され、ぬりえの仕事を休止する。
1947年(昭和22年)、キイチ/KIICHIの名でぬりえの制作と販売を始める。
その後、石川松声堂と山海堂との共同経営となる。
1948年(昭和23年)には「きいち」の名で、ぬりえを描くことに専念、大人気となる。
1960年代前半(昭和30年代後半)にアニメブームが起こるまでぬりえ人気が続く。
1960年(昭和35年)、テレビ放送開始。
児童は駄菓子 ……
蔦谷喜一さんが誕生してから、110年と277日が経過しました。(40455日)
亡くなってから、19年と271日が経ちました。(7211日)
33244日間 生きました。