村井順むらいじゅん
綜合警備保障 創業者[日本]
1909年 2月5日 生
1988年 1月12日 死去享年90歳
村井 順(むらい じゅん、1909年〈明治42年〉2月5日 - 1988年〈昭和63年〉1月12日)は、日本の内務・警察官僚、実業家。
初代内閣総理大臣官房調査室長(現・内閣情報調査室)、綜合警備保障の創業者で、社長・会長。
来歴=
東京出身。
東京高等学校 (旧制)を経て東京帝国大学法学部政治学科を卒業。
1935年(昭和10年)内務省に入省し、1939年(昭和14年)に福岡県警防課長から、汪兆銘の南京政府を実質的に支配していた上海の興亜院に転出し、中国大陸における特高警察活動や、思想文化統制に従事。
敗戦後は、青森県警察部長を務めている最中に吉田茂に才気を見出され、第1次吉田内閣で内閣総理大臣秘書官に抜擢されるも、のちに内務省に戻り、廃止された特高警察の代わりとして設立された、内務省警保局公安一課(公安警察)の課長として、情報関係業務に従事。
内務省がGHQによって解体・廃止されると、内事局第一局を経て、国家地方警察本部の初代警備課長に就任した。
吉田茂はG2のチャールズ・ウィロビーを通じて、キャノン機関の司令官であった、ジャック・Y・キャノン少佐と大磯の自邸で接触しており、吉田はキャノンに対して、緒方竹虎に対して情報機関設立に向けた助言を与えてほしいと依頼している。
吉田の依頼を受けたウィロビーとキャノンは、緒方の下を訪れて、アメリカ中央情報局(CIA)・イギリス情報局保安部(MI5)・イギリス情報局秘密情報部(MI6)といった、西側の情 ……
村井順さんが誕生してから、115年と289日が経過しました。(42293日)
亡くなってから、36年と314日が経ちました。(13463日)
28830日間 生きました。