青芝キックあおしばきっく
漫才師、青芝フック・キック[日本]
1941年 1月31日 生 (満83歳)
青芝フック・キック(あおしばフック・キック)は、昭和時代後期から平成時代初期まで活躍した漫才のコンビ。
和光プロダクションに所属し、道頓堀角座を中心に活躍した。
1968年、フックがかつて参加し、一世を風靡した漫画トリオが解散、新しい相方を求めたフックは出身高校の4年後輩のキックとコンビ結成。
フックの軽妙なしゃべくり、練りこんだキックとのテンポよい掛け合いで、知性派漫才を売りにした正統漫才。
非常に玄人受けするもので、作家・小林信彦の著作で絶賛を受けている。
社会風刺を行う「ニュース寄席」というイベントを定期的に行った。
1996年頃にキックが体調を崩したことでコンビを解散。
のちにフックは関西演芸協会に所属しピン芸人として活躍している。
メンバー=
青芝フック
服部天神宮での豊中えびす祭福餅授けで(2014年1月10日)本名
小島 斌(あきら)生年月日
(1938-03-12) 1938年3月12日(86歳)出身地
日本・大阪府大阪市旭区言語
日本語方言
関西弁最終学歴
大阪市立東商業高等学校コンビ名
青芝フック・キック相方
青芝キック芸風
漫才事務所
和光プロダクションテンプレートを表示
青芝フック(あおしばフック、1938年3月12日 - )本名:小島 斌(あきら)
ボケ担当(※漫画トリオではツッコミ担当だった。
)
大阪市旭区出身。
父は松下電器の特許部に勤務、母は三洋電機の副社長の妹で二人の結婚式の仲人は松下幸之助であったという。
現在は大阪府 ……
青芝キックさんが誕生してから、83年と294日が経過しました。(30610日)