生年月日データベース

広瀬真一ひろせしんいち

日本通運 元社長・元会長[日本]

1913年 1月25日

1986年 1月20日 死去享年74歳

広瀬 真一(ひろせ しんいち、1913年1月25日 - 1986年1月20日)は、日本の官僚、経営者。
運輸事務次官や、日本通運社長、会長を務めた。
「日通中興の祖」と呼ばれた。
経歴・人物= 新潟県柏崎市出身。
1938年に東京帝国大学法科を卒業し、同年に鉄道省に入省し、同期に若狭得治がいた。
運輸省鉄道管理局国有鉄道部長、鉄道管理局長などを経て、1964年6月に運輸事務次官に就任した。
1968年をもって退官し、地元新潟県選挙区で参議院選挙に自由民主党公認で出馬したが、落選した。
1968年11月に日本通運専務に就任し、日通事件で揺れていていた会社の立て直しに尽力していた。
1972年に副社長に就任し、1976年に社長に就任した。
社長在任中は宅配便事業の拡大、国内でのトラック輸送部門の拡大、国際化の強化を推進し、日通を総合物流会社に育て上げた。
1983年6月に会長に就任した。
日野自動車工業取締役、第一ホテル取締役、日本航空監査役、朝日生命保険監査役なども歴任した。
1986年1月20日肺がんのために東京都内の病院で死去。
72歳没。

広瀬真一さんが誕生してから、111年と313日が経過しました。(40856日)
亡くなってから、38年と318日が経ちました。(14198日)
26658日間 生きました。