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槙原稔まきはらみのる

三菱商事 元社長会長[日本]

1930年 1月12日 生 (満94歳)

槇原 稔(まきはら みのる、1930年1月12日 - 2020年12月13日 )は、日本の実業家。
従三位。
イギリス生まれ、東京府(現:東京都)。
ハーバード大学卒業。
三菱商事の社長・会長・特別顧問、三菱グループ・三菱金曜会の世話人代表を歴任した。
父・覚(さとる)は青年期に岩崎久弥(岩崎弥太郎の長男、三菱財閥3代目総帥)から奨学金を受け、その後三菱商事に入社し水産部長を務めた。
略歴= 1930年1月12日:三菱商事ロンドン支店に勤める父覚、母治子の長男として、英国の首都・ロンドン北西部のハムステッドに生まれ、幼少期を同国で過ごした。
父親は岡山県神代村の小作農の子で、上京後本郷龍岡町の雛鳳館(岩崎弥太郎が長男久弥のために作った学寮)の学友に選ばれ、東京高等商業学校専攻部卒業後三菱商事に入社。
母親は秦豊吉の妹。
1937年:日本へ帰国。
成蹊小学校入学。
1942年:米潜水艦による大洋丸撃沈事件で、父・覚が死去。
母とともに岩崎彦弥太(弥太郎の嫡孫、久弥の長男、三菱本社副社長)の国分寺の別邸(現・殿ヶ谷戸庭園)に身を寄せた。
1949年:旧制成蹊高等学校を経て、聖公会のヴァイアル主教の誘いで米国に渡り、ニューハンプシャー州のセント・ポールズ・スクールに転入。
敵国から来た留学生として身構えていた同校生徒・教職員をその人となりと勤勉さで魅了、「人は生まれながらにして平等だが、一人一人異なる」という趣旨の校内スピーチコ ……

槙原稔さんが誕生してから、94年と313日が経過しました。(34647日)

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