ロイ・ホワイトRoy Hilton White
メジャーリーガー[アメリカ]
1943年 12月27日 生 (満80歳)
ロイ・ヒルトン・ホワイト(Roy Hilton White、1943年12月27日 - )は、アメリカ合衆国・カリフォルニア州ロサンゼルス出身の元プロ野球選手(外野手)。
巨人とヤンキース両球団の4番打者を初めて務めた選手。
経歴=
絵画や彫刻を製作する白人芸術家の父親と、黒人の母親の間に生まれる。
ホワイトが9歳の時に両親は離婚し、母親の元で育った。
1962年にニューヨーク・ヤンキースと契約。
1966年にメジャー昇格後、ヤンキース一筋に15年間プレー。
サーマン・マンソンと共に、1970年代序盤の低迷期から1970年代後半の3連覇まで主力選手としてチームを支えた。
1980年2月18日に読売ジャイアンツに入団。
勝負強いバッティングを買われてクリーンアップを任され、打率.285(15位)はチームトップ、28本塁打・75打点は王貞治に次ぐ数字を残した。
1981年は打率.273、13本塁打とやや成績を落とす。
日本ハムとの日本シリーズ第2戦(10月18日)では、0対1でリードされていた8回表2死1塁の場面で、日本ハムの先発・間柴茂有からライトスタンドへ逆転の2点本塁打を放ち、巨人は対戦成績を1勝1敗のタイに持ち込む。
前日サヨナラ負けを喫したチームの窮地をホワイトが救った格好となった。
1982年は前半戦は山本功児が使われたために、ホワイトの出番が少なかったが、後半戦はほぼ常時出場する。
シーズンではNPBでのキャリハイとなる打率.296を記録するが、同年限りで引退した。
1983年から1988年にかけて ……
ロイ・ホワイトさんが誕生してから、80年と331日が経過しました。(29551日)