佐郷屋留雄さごうやとめお
右翼活動家、犯罪者[日本(満州)]
(別名義・佐郷屋嘉昭、濱口雄幸首相暗殺未遂犯)
1908年 12月1日 生
1972年 4月14日 死去享年65歳
佐郷屋 留雄(さごうや とめお、1908年12月1日 - 1972年4月14日)は、日本の右翼活動家。
熊本県出身。
別名は佐郷屋 嘉昭(さごうや よしあき)。
玄洋社系右翼団体愛国社党員。
濱口雄幸首相暗殺未遂犯。
経歴=
本籍は長崎県東彼杵郡彼杵村だが、清の吉林省和龍県大拉子(現在の中国延辺朝鮮族自治州)で生まれ、朝鮮の忠清南道大田面に転居し同地の小学校を卒業。
15歳で家出し、福岡県大牟田市に暮らす生母の佐郷屋いそのもとに寄宿し、同地で日本郵船営口丸の舵夫となり、19歳まで横浜や神戸など各地の汽船会社を転々とする。
その後一年間満洲を放浪したのち1927年に大連からシンガポールへ密航し、翌年鹿児島丸で神戸に戻り、上京して黒龍会渡辺義久らの世話になる。
1929年に渡辺が殴打される事件が起こり、その報復に犯人を襲い傷害罪で逮捕され、執行猶予4年の刑を受ける。
1930年7月に愛国社の社員となり、同年11月に濱口首相襲撃事件を起こす。
濱口首相暗殺未遂事件=
濱口首相遭難事件現場のプレート、東京駅、2012年撮影。
濱口首相遭難現場、東京駅、2013年撮影。
1930年11月14日午前8時58分、東京駅構内にて、特急燕に乗り込むためホームを移動中の濱口雄幸首相を至近距離より銃撃、重傷を負わせる(濱口首相遭難事件)。
佐郷屋は銃撃直後に周囲の手で取り押さえられ、現行犯逮捕された。
佐郷屋は背後の右翼団体を表には出さず、「濱口は社会を不安におとしめ、陛 ……
佐郷屋留雄さんが誕生してから、115年と355日が経過しました。(42359日)
亡くなってから、52年と221日が経ちました。(19214日)
23145日間 生きました。