篠田建市しのだけんいち
ヤクザ、六代目山口組組長、弘道会初代会長、通称・司忍[日本]
1942年 1月25日 生 (満84歳)
司 忍(つかさ しのぶ)こと篠田 建市(しのだ けんいち、1942年〈昭和17年〉1月25日 - )は、日本のヤクザ。
特定抗争指定暴力団・六代目山口組組長。
渡世名「司忍」の由来は「耐え忍んで司る」から(※諸説有り)。
来歴=
生い立ち=
1942年(昭和17年)、大分県大分市生まれ。
大分県立水産高等学校(現・大分県立海洋科学高等学校)を卒業後、地元の大手水産会社に就職。
その後、大阪を経て名古屋に出て、1962年(昭和37年)に三代目山口組鈴木組に入った。
弘田組時代=
1964年(昭和39年)から始まった第一次頂上作戦で警察による取締りが強化され、1966年(昭和41年)に鈴木組(鈴木光義組長)は解散し、鈴木組若頭を務めていた弘田武志は弘田組を結成して鈴木組の縄張りなどを引き継いだ。
その際、司忍は、弘田組若頭に抜擢され、司興業を設立した。
中京地区の抗争では武闘派として活動し、弘田組最高幹部を務めることとなる。
昭和40年代頃には、愛知県下に山口組系以外にも多くの暴力団組織があり、弘田組は三代目山口組の直参組織ではあったが一地方組織にすぎず、他組織と衝突を繰り返しながら地盤を築いていった。
弘田組で副組長や若頭を歴任し抗争でも陣頭指揮を執っていたのが司忍であった。
1981年(昭和56年)7月23日、三代目山口組組長・田岡一雄が死去する。
弘田組組長・弘田武志は、田岡の後継者とされる山本健一と関係が近く、山本健一が四代目を継承すれ ……
篠田建市さんが誕生してから、84年と55日が経過しました。(30736日)



