太田雄貴おおたゆうき
フェンシング選手[日本]
1985年 11月25日 生 (満38歳)
太田 雄貴(おおた ゆうき、1985年11月25日 - )は、2000年代から2010年代にかけて活躍した日本のフェンシング選手(種目はフルーレ)。
日本初のフェンシング銀メダリスト。
公益社団法人日本フェンシング協会元会長。
国際フェンシング連盟理事。
IOC委員。
京都府生まれの滋賀県大津市育ち。
大津市立比叡平小学校→平安中学校→平安高等学校を経て、同志社大学商学部卒業。
現役当時は森永製菓所属だった。
右利き。
キレのあるアタックを特徴とする。
妻は元TBSアナウンサーの笹川友里。
来歴=
幼少時代は、滋賀県大津市比叡平にて過ごす。
小学時代はスポ少「大津スキースポーツ少年団」にてスキーや陸上トレーニングなどで基礎体力を養う。
高校時代にフェンシングをしていた父の勧めで小学3年生からフェンシングを始め、小、中学と共に全国大会を連覇している。
平安高校時代には史上初のインターハイ3連覇を達成し、高校2年の時には全日本選手権で優勝した(2023年現在最年少記録)。
2004年1月から岡崎直人、山口徹らとアテネオリンピック出場権をかけて多くの国際大会に出場した。
3月の韓国国際大会で8位入賞を果たすとその後も確実に上位に進出して出場権を獲得。
アテネオリンピックでは3回戦でロシアのGANEEV Renalに敗れ、9位となった。
2006年、カタール・ドーハで開催されたアジア競技大会では、準決勝で2005年の世界選手権2位の張亮亮( 中国)を破る大金星 ……
太田雄貴さんが誕生してから、38年と361日が経過しました。(14241日)