米山篤志よねやまあつし
男子サッカー選手[日本]
1976年 11月20日 生 (満48歳)
米山 篤志(よねやま あつし、1976年11月20日 - ) は、栃木県宇都宮市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。
現役時代のポジションはディフェンダー。
元日本代表。
Jリーグ・カマタマーレ讃岐監督。
来歴=
桐蔭学園高校時代、スランプに陥った時期に李国秀の勧めでミッドフィールダーからディフェンダーへと転向した。
駒澤大学では2度の全日本大学選手権優勝やユニバーシアード日本代表選出などの実績を残し、在学中の1998年にヴェルディ川崎に入団。
同年2ndステージにはレギュラーポジションを獲得した。
2000年にはフェアプレー個人賞を獲得した。
トルシエ監督時代には日本代表にも選出され、2000年2月26日のAFCアジアカップ2000 (予選) のブルネイ戦で国際Aマッチのキャップを記録した。
以後も主力として東京Vのレギュラーを務めていたが、2005年に東京VのJ2降格が決定するとクラブの方針から戦力外通告を受けた。
この時、米山と林健太郎が早々に戦力外通告を受けた事は、高校・大学とプロ入り前からチームメイトだった山田卓也やクラブ後輩の小林大悟が東京Vを去る決断をする要因となった。
2005年10月8日、1999年度ミス日本ミス水着に選ばれた小谷亜希子と入籍。
2006年は川崎フロンターレに移籍。
第6節のジェフユナイテッド千葉戦に途中出場し、J1リーグ通算200試合出場を達成した。
シーズン終了後には「川崎は来期に向けての契約非継続選手はゼロ」との報道もされてい ……
米山篤志さんが誕生してから、48年と1日が経過しました。(17533日)