一ノ瀬泰造いちのせたいぞう
報道写真家[日本]
1947年 11月1日 生
1973年 11月 死去処刑享年27歳
一ノ瀬 泰造(いちのせ たいぞう、1947年〈昭和22年〉11月1日 - 1973年〈昭和48年〉11月29日)は、日本の報道写真家。
生涯=
生い立ち=
一ノ瀬清二・信子の長男として佐賀県武雄市に生まれる。
佐賀県立武雄高等学校に入学。
物理部の部長として写真部門で活躍。
夏、野球部に所属し、甲子園(第45回全国高等学校野球選手権大会)に出場。
1966年4月、日本大学芸術学部写真学科に入学。
1971年、卒業後、UPI通信社東京支社に勤務(3ヶ月で退社)。
戦地へ=
半年の試用期間をもってUPIを不採用になったため、フリーランスの戦争カメラマンとして活動を開始。
米軍キャンプPXの写真屋で1年間働き資金を貯め、インド・パキスタン戦争へ向かう。
1972年3月14日、ベトナム戦争が飛び火し、戦いが激化するカンボジアに入国。
1972年6月、アンコールワット入りを願いクメール・ルージュの兵士と接触するが、フィルムを抜かれて追い返される。
8月15日、好ましからざるジャーナリストとして国外退去となりベトナムへ行く。
以後ベトナム戦争、カンボジア内戦を取材、『アサヒグラフ』や『ワシントン・ポスト』などのマスコミで活動し、8月25日、「安全へのダイブ」でUPIニュース写真月間最優秀賞を受賞した。
1973年4月27日、日本へ一時帰国。
武雄市の両親のところで9日間過ごす。
5月、ベトナムへ再入国。
6月、カンボジアに再入国。
8月、サイゴンからプノンペンまでメコン川を遡る。
11 ……
一ノ瀬泰造さんが誕生してから、77年と21日が経過しました。(28145日)