生年月日データベース

立津政順たてつせいじゅん

精神科医[日本]

1915年 10月18日

1999年 1月28日 死去享年85歳

立津 政順(たてつ せいじゅん、1915年(大正4年)10月18日 - 1999年(平成11年)1月28日)は、日本の精神科医。
沖縄県出身。
旧制水戸高等学校を経て1940年、東京大学医学部卒業。
東京都の松沢病院を経て、1961年から1980年熊本大学教授。
統合失調症、一酸化炭素中毒、水俣病などを研究。
松沢病院時代は終戦時の精神病療養所の死亡率を発表した。
略歴= 小学校時代は沖縄県今帰仁小学校に通学し、優等生であった。
1936年旧制水戸高等学校を卒業、1940年3月東京大学卒業。
精神科入局(内村祐之教授)東京大学助手を経て1942年12月19日、東京都立松沢病院に勤務。
1946年12月東京大学医学博士。
論文の題は「本邦人の精神疾患負荷に関する研究」1954年3月医長に昇任。
1961年4月1日、第4代熊本大学精神科教授。
同年8月西ドイツなどに出張。
1964年アメリカ、1966年、スペイン、1975年、アメリカに出張。
1978年、第6回西日本精神神経学会会長。
1980年4月定年退官。
熊本大学名誉教授。
戦争中の松沢病院入院患者の死亡率= 立津は1958年に「戦争中の松沢病院の死亡率」を発表、とくに敗戦の年の1945年に松沢病院に在籍した患者1169名(年初在院668名、年間入院501名中、478名が死亡し、年間在籍患者数に対する死亡率が40.9%にのぼっていたことをあきらかにした。
三井三池炭鉱爆発事故= 1963年の三井三池三川炭鉱炭じん爆発による一酸化炭素中毒患者の治療にあたり、長期間回復しない症例を多数診察 ……

立津政順さんが誕生してから、109年と35日が経過しました。(39847日)
亡くなってから、25年と298日が経ちました。(9429日)
30418日間 生きました。

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